妙法蓮華経観世音菩薩普門品(みょうほうれんげきょうかんぜおんぼさつふもんぼん)

仏教のお経というと、わかっているだけでも8400ほどあります。
その中で今回は、「観音経(かんのんぎょう)」や「世尊偈(せそんげ)」と呼ばれることが多いですが、正確に

妙法蓮華経観世音菩薩普門品
(みょうほうれんげきょうかんぜおんぼさつふもんぼん)

を紹介します。「妙法蓮華経」というのはいわゆる「法華経(ほけきょう・ほっけきょう)」のことです。


「法華経」には全部で28の章があり、1つひとつの章のことを「(ほん)」といいます。
ですから、「妙法蓮華経(法華経)」の中の、「観世音菩薩普門」の「品(章)」となります。

「観音経」というのは、この「観世音菩薩普門品」の略称です。

「世尊偈」というのは、世尊(せそん)はお釈迦様のことで、偈(ぐ)が仏の教えなどを韻文(いんぶん)形式の
漢詩で書いたものなので、かんたんに言うとお釈迦様の教えを漢文で詩のように書いたものです。

妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈


1,世尊妙相具せーそんみょうそうぐー 我今重問彼がーこんじゅうもんぴー 仏子何因縁ぶっしーがーいんねん 名為観世音みょういーかんぜーおん

2,具足妙相尊ぐーそくみょうそうそん 偈答無尽意げーとうむーじんにー 汝聴観音行にょーちょうかんのんぎょう 善応諸方所ぜんのうしょーほうしょー

3,弘誓深如海ぐーぜいじんにょーかい 歴劫不思議りゃくごうふーしーぎー 侍多千億仏じーたーせんのくぶつ 発大清浄願ほつだいしょうじょうがん

4,我為汝略説がーいーにょーりゃくせつ 聞名及見身もんみょうぎゅうけんしん 心念不空過しんねんふーくうかー 能滅諸有苦のうめつしょーうーくー

5,仮使興害意けーしーこうがいいー 推落大火坑すいらくだいかーきょう 念彼観音力ねんぴーかんのんりき 火坑変成池かーきょうへんじょうちー

6,或漂流巨海わくひょうるーこーかい 龍魚諸鬼難りゅうぎょーしょーきーなん 念彼観音力ねんぴーかんのんりき 波浪不能没はーろうふーのうもつ

7,或在須弥峯わくざいしゅーみーぶー 為人所推堕いーにんしょーすいだー 念彼観音力ねんぴーかんのんりき 如日虚空住にょーにちこーくーじゅう

8,或被悪人逐わくひーあくにんちく 堕落金剛山だーらくこんごうせん 念彼観音力ねんぴーかんのんりき 不能損一毛ふーのうそんいちもう

9,或値怨賊繞わくちーおんぞくにょう 各執刀加害かくしゅうとうかーがい 念彼観音力ねんぴーかんのんりき 咸即起慈心げんそくきーじーしん

10,或遭王難苦わくそうおうなんく- 臨刑欲寿終りんぎょうよくじゅしゅう 念彼観音力ねんぴーかんのんりき 刀尋段段壊とうじんだんだんえー

11,或囚禁枷鎖わくしゅうきんかーさー 手足被杻械しゅーそくひーちゅうかい 念彼観音力ねんぴーかんのんりき 釈然得解脱しゃくねんとくげーだつ

12,呪詛諸毒薬しゅうそーしょーどくやく 所欲害身者しょーよくがいしんしゃ 念彼観音力ねんぴーかんのんりき 還著於本人げんじゃくおーほんにん

13,或遇悪羅刹わくぐうあくらーせつ 毒龍諸鬼等どくりゅうしょきーとう 念彼観音力ねんぴーかんのんりき 時悉不敢害じーしつぷーかんがい

14,若悪獣圍繞にゃくあくじゅいーにょう 利牙爪可怖りーげーそうかーふー 念彼観音力ねんぴーかんのんりき 疾走無辺方しっそうむーへんぽう

15,玩蛇及蝮蠍がんじゃぎゅうぶつかつ 気毒煙火燃けーどくえんかーねん 念彼観音力ねんぴーかんのんりき 尋声自回去じんしょうじーえーこー

16,雲雷鼓掣電うんらいくーせいでん 降雹澍大雨ごうばくじゅだいうー 念彼観音力ねんぴーかんのんりき 応時得消散おうじーとくしょうさん

17,衆生被困厄しゅじょうひーこんやく 無量苦逼身むーりょうくーひっしん 観音妙智力かんのんみょうちーりき 能救世間苦のうぐーせーけんくー

18,具足神通力ぐーそくじんつうりき 広修智方便こうしゅうちーほうべん 十方諸国土じっぽーしょこくどー 無刹不現身むーせつふーげんしん

19,種種諸悪趣しゅじゅしょあくしゅ 地獄鬼畜生じーごくきーちくしょう 生老病死苦しょうろうびょうしーくー 以漸悉令滅いーぜんしつりょうめつ

20,真観清浄観しんかんしょうじょうかん 広大智慧観こうだいちーえーかん 悲観及慈観ひーかんぎゅうじーかん 浄願常譫仰じょうがんじょうせんごう

21,無垢清浄光むーくーしょうじょうこう 慧日破諸闇えーにちはーしょあん 能伏災風火のうぶくさいふーかー 普明照世間ふーみょうしょうせーけん

22,悲体戒雷震ひーたいかいらいしん 慈意妙大雲じーいーみょうだいうん 澍甘露法雨じゅーかんろーほううー 滅除煩悩燄めつじょうぼんのうえん

23,諍訟経官処じょうしょうきょうかんしょ 怖畏軍陣中ふーいーぐんじんちゅう 念彼観音力ねんぴーかんのんりき 衆怨悉退散しゅうおんしったいさん

24,妙音観世音みょうおんかんぜーおん 梵音海潮音ぼんのんかいちょうおん 勝彼世間音しょうひーせーけんおん 是故須常念ぜーこーしゅーじょうねん

25,念念勿生疑ねんねんもっしょうぎー 観世音浄聖かんぜーおんじょうしょう 於苦悩死厄おーくーのうしーやく 能為作依怙のういーさーえーこー

26,具一切功徳ぐーいっさいくーどく 慈眼視衆生じーげんじーしゅじょう 福聚海無量ふくじゅかいむーりょう 是故応頂礼ぜーこーおうちょうらい

27,爾時にーじー 持地菩薩じーじーぼーさー 即従座起そくじゅうざーきー 前白仏言ぜんびゃくぶつごん

28,世尊せーそん 若有衆生にゃくうーしゅじょう 聞是観世音菩薩品もんぜーかんぜーおんぼーさーほん 自在之業じーざいしーごう 普門示現ふーもんじーげん 神通力者じんつうりきしゃ 当知是人とうちーぜーにん 功徳不少くーどくふーしょう

29,仏説是普門品時ぶっせつぜーふーもんほんじー 衆中八万四千衆生しゅちゅうはちまんしーせんしゅじょう 皆発無等等かいほつむーとうどう 阿耨多羅三藐三菩提心あーのくたーらーさんみゃくさんぼーだいしん

現代語訳

それでは、上記の偈文はどういう意味なのか現代の言葉で訳してみたいと思います。
わかりやすくするために、偈文に番号を仮につけました。

1,とても尊く、真に美しい姿のお釈迦様に、無尽意菩薩は質問しました。
 「仏の道を歩む菩薩のような人々を、なぜ観音様と呼ぶのでしょうか?」

2,お釈迦様は、偈によってその質問に答えました。
 「観音菩薩のように生きようとする者たちが、いろんな場所で人々の願いに応えている姿をよく見て聞いてみて
  ください。

3,菩薩として生きようとする誓いは海のようにとても深く、とうてい想像できることではないです。
 途方もないほどの時間を優れた人物の傍で学び、影響を受け、そうして菩薩として生きようと決意したのでしょ
 う。その尊い生き方を讃えて、そのような人々を観音様と呼んでいるのですよ。

4,私はあなたのためにもう一度、菩薩としての生き方を教えましょう。
 菩薩として生きる人々の名前を聞いてください。そしてその姿をよく見てください。
 心に想い念じ、いつも忘れないようにしてください。そうすれば、あらゆる苦悩は消滅していきます。

5,たとえ人に悪く思われ、奈落の底に落とされるようなひどい目に遭っても、菩薩として生きようと信じる心
 を忘れなければ、怒りの炎は燃え盛ることはなく、心は穏やかでいられます。

6,欲の心が出て欲の海に溺れてしまい、あらゆる誘惑に負けそうになっても、菩薩として生きようと信じる心を
 忘れなければ、欲にも溺れずにすみます。

7,人から裏切られ、山から落とされるようなショックを受けても、菩薩として生きようと信じる心を忘れなけれ
 ば、太陽が空に浮かんでいるように悠々としていられます。

8,悪い人に追われ、道を踏み外し落ちることがあっても、菩薩として生きようと信じる心を忘れなければ、
 ほんの少しの怪我もなく仏の道に戻ってくることができます。

9,悪い人に、嫉みや恨みを買って危害を加えられるようなことがあったとしても、菩薩として生きようと信じる心
 を忘れなければ、やがて相手の心にも慈しみの心が生まれてきます。

10,悪い心で暴走した権力により、不当な処罰を受けることがあっても、菩薩として生きようと信じる心を忘れな
 ければ、そうした権力は滅びていきます。

11,制限や束縛を受けて自由に生きることができないときもあります。
 それでも菩薩として生きようと信じる心を忘れなければ、心は束縛されずに自由でいられます。

12,世の中には悪い言葉を使う人もいて、誹謗中傷や嫌な言葉が自分にふりかかるときもあります。
 それでも菩薩として生きようと信じる心を忘れなければ、言葉を発した本人たちに同じく悪い言葉は還っていき、
 自分がした過ちに気付くでしょう。

13,生きていればいろいろな人と出会います。もちろん心優しい人ばかりではなく、悪い人もいます。
 それでも菩薩として生きようと信じる心を忘れなければ、あなたを貶めようと思う人はいません。

14,自分を貶めるのは外側からだけではなく、自分自身の心や煩悩によって自分が苦しむこともあります。
 そんな時も菩薩として生きようと信じる心を忘れなければ、煩悩はどこかへと走り去っていくでしょう。

15,身を滅ぼすもの、毒になるもの、身体を壊そうとするものが近づくときもあります。
 それでも菩薩として生きようと信じる心を忘れなければ、そのようなものは自然と去っていきます。

16,人生には雨の日があり、雷の日もあります。雹が降るような激しい日もあります。
 心が折れてしまいそうな苦しい日々であっても、ただ自分が菩薩として生きようと信じる心を忘れなければ、苦悩
 はやがて消えていきます。

17,生きていくというのは多くの壁や困難があります。苦しんで悩むこともあります。思いどおりにならないことが
 すごく多いです。それでも勇気をもって菩薩として生きようと信じる心さえ忘れなければ、その生き方は他の人々
 を苦悩から救い、自分自身をも救ってくれるでしょう。

18,菩薩として生きる人は、智慧ちえ( 物事をありのままに把握し、真理を見極める認識力)によって正しい道を
 指し示し、その道へ人々を導いていきます。そうした菩薩のような人々が、この世界のあらゆる場所にいます。
 その方にあなたが感謝の想いを抱いたなら、相手は菩薩だということです。

19,欲や執着といった煩悩によって、人はストレスをかかえ苦しみ悩みます。
 老いや病や死といった苦悩も、老いたくない、健康でいたい、死にたくないという思いで苦悩となります。
 自分の望み通りにしたいという願い、その願いの根本にあるのは欲や執着であり、菩薩はその真理を説くことに
 よって人々から苦悩をことごとく取り払います。

20,真理を観ており、清らかに観つめ、広大な智慧をもって、慈悲にあふれ、あらゆるすべての人を観ています。
 ですから菩薩の心を忘れず、菩薩を尊んでください。

21,菩薩のように清らかに生きる人の姿はとても輝いていて、その光は人々の内側にある闇を照らし、誤った道へ
 進むのを防ぎ、災いの風火を吹き消し、世界を善い方へと変えていきます。

22,慈悲の「悲」(喜びを与えたいという心)の元である「戒」(戒があるから、私たちは内省と懺悔ができるの
 で、そこで始めて自己の煩悩に気づく)は、雷のように激しく、喜びを与えたいという心は大きな雲のように美
 しいです。それは、あたかも甘い仏法の雨を降らせることで、人々の煩悩の炎を静めていくかのようです。

23,言い争いというのは絶えません。優劣という基準から離れることは難しいです。
 それでも菩薩として生きようと信じる心を忘れなければ、人々から醜い心は退いていきます。

24,菩薩の声(音)というのはとても素晴らしい音楽のようです。
 その音楽によって人々の苦悩は取り除かれ、安らぎが与えられます。
 だからこそ菩薩として生きることの尊さを忘れてはいけません。

25,自分に具わる(そなわる)菩薩の力を疑ってはいけません。
 自分にそのような力はないと考えてはいけません。
 どんな人にも菩薩として生きる力が宿っています。
 菩薩として生きることで、人は苦悩や恐れから自由になるし、その頼りとなります。

26,菩薩として生きる人には、あらゆる功徳(現世・来世に幸福をもたらすもとになる善行)が具わっています。
 その慈悲の眼差しで人々に接したなら、そこには海のように広く深い幸福が生まれます。
 だから菩薩として生きる人に出会ったなら、その人を尊び敬ってください。

 これが観音菩薩のように生きていく教えです。」

27,お釈迦様がお話し終わると、持地菩薩じじぼさつ(彌勒菩薩(みろくぼさつ)の異名ともいい、観音とも地蔵とも)
 は立ち上がって進み出て、お釈迦様に申し上げました。

28,「お釈迦様、今あなたが説かれた菩薩としての素晴らしい生き方を、もし人々が耳にしたなら、その功徳は
 計り知れないものがあることでしょう。」

29,お釈迦様が観音経のお話しを終えた時、そこに集った八万四千の人々は、これ以上ないほどの悟りの心が起こ
 りました。

おわりに

このように観音経には、観音菩薩(観世音菩薩)について詳しく書かれています。
今回は私が感じるままに訳させていただきました。いろんな解釈があると思います。

ですが私は、困った時に神や観音様に手を合わせ願うように、いつも念じるということではなく、

あらゆる人には、観音菩薩(観世音菩薩)のように生きる力が具わっていて、そのように生きるんだと信じる心
とても大事だと感じています。

困っている人を助ける、冗談や面白いことをして笑わせる、または間違っている人(事)を叱る、
このように誰かに対して、その人(事)のために自分の心を使う、心の通った行いそれらすべてが
菩薩としての生き方だと思います。

だから、そうできるんだと自分自身を信じてください。(合掌)