密教、顕教(けんぎょう)

漢字のイメージで、密教と言われるとなにか秘密の教えなのかとか、
神秘的にとらえる方が多いと思います。でも、そうではありません。

密教とは、もともとはインドで発展したものですが、
現存している密教は、チベット仏教、天台宗の台密(たいみつ)、台密に対する東密(とうみつ)の真言宗、
この3つになります。

もし秘密の教えだとすると、秘密で非公開ということになりますが、
真言宗を開いたあの有名な弘法大師空海は、そんなことは言っていません。

真言宗の場合は、即身成仏(そくしんじょうぶつ)と言って、生きている間に仏のさとりを開こうとします。
しかし、チベット仏教では生きている間は開けません。

ですから、ここまでみると目的がそこまで仏教と離れておらず、これが密教だという特徴もあまりありません。

密教の特徴

他の仏教の宗派にはない密教の特徴というと、大日如来が本尊であるとか、忿怒(ふんぬ)の表情の仏像が多いなどがあり、他にもいろいろあります。

なかでも密教に一貫してある特徴といえば、「儀礼」と「呪法」です。
儀式を行って、祈祷したり現世利益を祈る要素があります。密教的というと、そのようなことを指します。

密教では護摩(ごま)をはじめとする色々な宗教儀礼を行います。
護摩は、サンスクリット語でホーマといい、バラモン教の神々に祈る儀式と似ています。

ここに仏教との明確な違いがあります。
お釈迦様は、涅槃経や般舟経(ばんじゅきょう)で

神を拝んだり、祭ったり、帰依してはいけないと教えられています。
なので、密教も仏教ですから、あまり呪術的だとは言われません。
しかし、歴史を見ていくとそれがはっきりとわかります。

初期密教

お釈迦様が亡くなりしばらくすると、インドではヒンドゥー教が盛り上がってきます。
当初、仏教は口伝でしたが、書き残されるようになり、4世紀ごろの密教のお経には、
ヒンドゥー教によく似た神に現世利益を祈る儀礼や呪法のお経が現れ始めました。

そして、6世紀に曼荼羅(まんだら)が始まります。
この奈良時代に日本に伝わった密教を、雑蜜(ぞうみつ)といい、
チベット仏教では、所作タントラといいます。

中期密教

やがて、やがて神に祈る儀礼と呪法も含みつつ、瞑想による成仏を目指す「大日経」や
「金剛頂経こんごうちょうぎょう」が出て来ます。

この瞑想を重視する日本の密教を「純蜜じゅんみつ」といい、
チベット仏教では、大日経を行タントラ、金剛頂経を瑜伽(ゆが)タントラといいます。

日本の密教はこの9世紀ごろに、中国を経由して伝わってきました。
なので仏のさとりを目指していますが、空海が高野山を開いた時、天地の神々に擁護を願い、
最澄も、比叡山を守るために神に祈願
しています。
ちなみに中国では、道教に押され、現世利益を求めるようになり衰退します。

後期密教

インドでは9世紀ごろから、どんどんヒンドゥー教に似てきます。
煩悩をどんどん肯定して、悟りを開くのに有効だとされていきます。
こちらは日本ではなく、11世紀ごろチベット仏教に伝わりました。
これをチベット仏教では、無上瑜伽タントラといい、最高の位置づけです。

このように日本の密教とチベット仏教では、かなり違いがあります。
そして、インドでは仏教が衰退してしまうので、密教も同じくなくなります。

こうして密教は、真言宗の東密と、天台宗の台密、チベット仏教の3つになりました。

密教と顕教けんぎょう

密教の意味として、空海の弁顕密二教論(べんけんみつにきょうろん)によると、
如来の秘密」と「衆生(しゅじょう)の秘密」の2つあると言われています。

如来の秘密」は、私たち衆生に正しく理解する力ができるまでは、知らせない秘密です。
衆生の秘密」は、私たちに正しく理解する力がないために、公開されているのに理解できない秘密です。
衆生(しゅじょう)とは、すべての生きとし生けるものということです。

簡単に言うと、法身という、私たちには見えない真理そのものの状態である大日如来が、
自ら楽しむために示した三密の教えを密教といいます。
つまり、仏のさとりを開いた仏様だけが知る教えということで、
普通の人にはわからない、素晴らしい教えという意味になります。

この密教に対して、顕教(けんぎょう)とは何かというと、
密教で使われる言葉で、密教以外の仏教の教えということです。

お釈迦様が開かれた仏のさとりは、言葉には表せない世界です。
そのため、「離言真如りごんしんにょ」といいます。
しかしそのままでは、私たちに伝わらないので、言葉で示してくださいました。
それが、「依言真如えごんしんにょ」といいます。

ですから、密教も顕教もどちらも言葉で伝えますし、その境地はどちらも言葉で表せません。
真言宗の東密では、密教は大日如来が示された三密の教えのことで、顕教は人間として現れた
お釈迦様の説いた教えということになります。

天台宗の台密では、究極の教えの一乗の教えを密教といい、法華経や華厳経も入ります。
それ以外の方便の教えの三乗の教えを顕教といいます。

チベット仏教では、所作タントラ、行タントラ、瑜伽タントラ、無上瑜伽タントラなどのタントラが密教で、
それ以外の仏教の教えが顕教です。

東密と台密

真言宗の密教の東密は、空海が805年に中国の恵果(えか)から、胎蔵界と金剛界の両部を伝授され、
やがて空海が体系化して、即身成仏を理論的に裏付けしたのが東密です。

天台宗の密教の台密は、同じように中国から最澄が受け継いできましたが、不完全だったために、
円仁(えんにん)が再度中国に渡って、恵果の弟子たちから840年に金剛界、胎蔵界、蘇悉地(そしつじ)の三部の伝授を受けました。その後も、円珍(えんちん)が中国で三部の伝授を受け、安然(あんねん)によって大成されたのが台密です。

東密と台密の違いとしては、東密では大日如来と釈迦如来は別の仏であり、大日如来が最高の仏だとしますが、
台密では大日如来と釈迦如来は本来は一仏とします。

さらに東密では、金剛界と胎蔵界の両部で、台密では、それに蘇悉地(そしつじ)を入れた三部となっています。

密教の修行

大乗仏教の修行といえば、六波羅蜜(ろくはらみつ)ですが、密教の場合は、
六波羅蜜の禅定(ぜんじょう)にあたる、観法(瞑想)が中心となります。

その瞑想の方法が、みなさんよくご存じのヨーガ(瑜伽)です。
いわゆるヨガには、たくさんのポーズがありますが、そういう姿勢をとることではなく、
精神統一の実践法のことをヨーガ(瑜伽)といいます。

密教のヨーガの観法を行うには、必ず師匠が必要です。しかも絶対的な服従を求められるので、
しっかりと尊敬できる師匠を探さなくてはいけません。
この師匠のことを、阿闍梨(あじゃり)といいます。チベット仏教では、ラマです。
チベット仏教では、この絶対的な服従がより求められるのでラマ教とも呼ばれていました。

そして、密教の修行の基本は、三密の行といいます。
三密は、三業で心と口と身体の三つの行いのことです。
仏教では、身口意の三業でしたね。
こちらの業(カルマ)の記事でも三業について書いています。

密教では、護摩を焚き、滝に打たれたりしながら三密の行を行います。

さらに密教の行の本筋は、三密の瑜伽行(ヨーガ)です。
これは阿闍梨の許可を得て、阿闍梨の指導のもとに行わなければなりません。
それには、厳しい修行を経て認めてもらう必要があります。

チベット密教の修法には、生起次第(しょうきしだい)と究竟次第(くきょうしだい)の2つがあり、
究竟次第が絶対的なものと一体になる観法です。
究竟次第はやはり特別の訓練を積んだ行者にしか、授けられません。

おわりに

これまで密教についてまとめてきました。
密教の修行に関しては、これでは相当すごい修行を積んだ人や、ものすごく体力がある人でないと、
修行ができないという困難があります。

しかし、修行ができない人でも生きている時に救われる教えが説かれています。
観音菩薩の言葉として、あなたの生まれるべきところは、阿弥陀如来の清らかな極楽浄土であると、
説かれています。

阿弥陀仏は、どんな人でも、苦悩の根本原因を断ち切って、煩悩を持ったままで絶対の幸福にしてみせると、
約束されている
ので、密教でも勧められています。