日本で有名な鬼といえば、やはり節分での鬼ではないでしょうか?
「鬼は外、福は内」や、またその逆の掛け声で炒った豆をまきますよね。
もともと、平安時代の大晦日に宮中行事として行われた、追儺(ついな)が始まりで徐々に庶民に浸透したといわれています。追儺は、疫鬼(えきき)を追い払うもので、大晦日に陰陽師がきて厄や災難を祓い清める儀式です。
豆をまくようになったのは、室町時代に魔目(鬼の目)を滅ぼすというのが由来だといわれます。
日本人における豆は、神が宿るとされていたためということもあるでしょう。
このように節分や鬼ごっこの鬼は、疫病の他に、どこまでも追いかける人間の怨念や執念を表しています。

鬼の色、5色
鬼の色というとやはり、絵本でも有名な赤鬼と青鬼だと思います。
しかし実は大きく分けると5色に分けられます。
これは仏教における5つの煩悩(ぼんのう)のことを五蓋(ごがい)といい、その五蓋を鬼の色に当てはめています。
赤鬼
赤色の鬼が表す煩悩は「貪欲(どんよく)」。人間の欲望を表しています。
赤鬼が一番有名なのは、この欲望があらゆる邪気の象徴だからでしょう。金棒を持ちます。
青鬼
青色の鬼が表す煩悩は「瞋恚(しんに)」。瞋恚とは怒りや恨み、憎しみといった人間の憎悪の感情の事を指します。
黄鬼
黄色の鬼が表す煩悩は「掉挙・悪作(じょうこ・おさ)」。浮ついた心や甘え、執着など、自分自身の心の弱さを映し出しています。黄色の鬼は白色とも言われ、同じ意味を表します。のこぎりを持つとされています。
緑鬼
緑色の鬼が表す煩悩は「惛沈・睡眠(こんじん・すいめん)」。やることをやらない、ダラダラと眠ってばかりいる、食べ過ぎるという怠けた心からくる不健康や不摂生を意味します。薙刀(なぎなた)を持ちます。
黒鬼
黒色の鬼が表す煩悩は「疑惑(ぎわく)」。自分や他人を疑う心や、愚痴などを指します。自身の中にある不平不満の心、卑しい気持ちを映し出しています。斧を持ちます。
日本における鬼
「鬼」という漢字は「カミ」や「シコ」などとも読まれ、「カミ」は「神」に通じます。
昔の人々は、あらゆるものに神や精霊が宿ると考えていて、目に見えないものや人の理解を超える神秘的な存在があることを、ごく自然に日常の中で受け入れていました。
その中で日本人は鬼を、山や土地を守る神であると崇めました。
この種類の鬼には目が1つで、人を助けるためにとてつもない能力を使ったという伝説が多くあります。
「山神」に属しているとされています。

また逆に、阿用郷の鬼(あよのさとのおに)のように人々に大変畏れられている鬼もいます。
この鬼は、目一鬼(まひとつおに)と記述され日本で最も古い鬼です。
もののけ姫でも描かれているように、古代の出雲国では鍛冶業が盛んでした。
当時は常に鋳造する時の炎を見つめ続けながら作業していたことにより、鍛冶職人は片目を失明する方が多くいました。それだけではなく、鉄の色を温度を見るために、片方の目で見ていました。
そのため、製鉄・鍛冶の神である天目一箇神(あめのまひとつのかみ)と繋がるようになったようです。
仏教における鬼
みなさんが鬼をイメージすると、角や牙を生やした恐ろしい姿で虎柄のパンツを想像すると思います。
(ちなみに虎柄のパンツは、陰陽道の鬼門の方角が北東でこれが「丑寅」であることに関係しています。)

それは実は、仏教の鬼の姿から来ています。
仏教には六道(ろくどう、りくどう)と呼ばれる6つの世界が存在し、前世の行いによって来世で生きる世界が決まります。
- 天道(てんどう) ⇒ 天人(てんにん)が住む世界。サンスクリットではテーヴァ、キリスト教ではデウス、 ギリシャ神話ではゼウス、中国でも天。
- 人間道(にんげんどう) ⇒ 我々、人間が住む世界。
- 修羅道(しゅらどう) ⇒ 阿修羅が住み、終始戦い争うために苦しみと怒りが絶えない世界。
- 畜生道(ちくしょうどう) ⇒ 鳥・獣・虫など畜生の世界。
- 餓鬼道(がきどう) ⇒ 腹が膨れた餓鬼の世界。
- 地獄道(じごくどう) ⇒ 罪を償わせるための地下の世界。
その中の「餓鬼道(がきどう)」という世界にいるのが、鬼の一つである「餓鬼」。
餓鬼は常に飢えに苦しんでいて、食べ物と水を手にしても火となってしまうため、決して満たされることがありません。前世で金や食べ物を独り占めした欲深い人間は、この餓鬼に生まれ変わってしまいます。

そして、誰でも知っているように地獄の獄卒(ごくそつ)としての鬼。
最も苦しみの激しい世界である地獄で罪を犯した亡者たちを管理しています。
なかでも有名な鬼は、牛頭(ごず)や馬頭(めず)といった牛や馬の頭をした鬼や羅刹(らせつ)という人を惑わし、また食う鬼です。とても恐ろしく描かれますが、一方で牛頭天王や馬頭観音として神格化されたり、羅刹も毘沙門天の眷属とされています。
このように鬼を紹介してきましたが、仏教における鬼というのは地面の下に住んでいて落ちてくる罪人を待っているわけではありません。
地獄というのは、自分がいろんなことで悩み、苦しんで辛い状態にあることです。
それは自分自身が生み出している状態です。
最初に説明した5色の鬼、赤鬼は頭に血が上る怒りの心を、青鬼はどこまでも侵していく欲の心、黄鬼は甘えや執着などの弱い心、緑鬼は怠けた心、黒鬼は疑いを持つ卑しい心。
この5つの心が鬼にたとえられ、五蓋(ごがい)となります。
人間の心の奥には、鬼がいます。
仏教のお話を聞くと、自分の姿が見えてきます。

鬼は、「遠仁おに」とも書きます。これは、仁に遠いということです。
仁は人間自身で、愛とも呼べる慈悲の心です。
(慈悲ー仏・菩薩が衆生をいつくしんで楽しみを与える慈、及びあわれんで苦を除く悲の心。)
しかし、その慈悲の心から遠い、つまり無慈悲な心が「遠仁」です。
お釈迦様は、「仏教は法鏡(ほうきょう)である」と説きました。
法鏡は真実の鏡なので、自分の真実を写し出すのが仏教だということです。
おわりに
ここまで鬼について説明してきました。
鬼は、とても神秘的で畏れられてもおり、逆に神格化されていたりします。
人間の心の奥には、鬼がいると書きました。
ここで怖いなと感じる方もいらっしゃると思います。
私は怖がらせるためにこれを書いたわけではありません。
自分自身を知る、または観るにはこの鬼とも対峙しなければいけません。
辛いからと言って、目をそむけていても変わりません。
自分の中の鬼を知り、理解することで周りの鬼も見えてきます。
ぜひ自分の鬼さんと仲良くして、諸行無常と諸法無我を体感してください。